どうも!八郎です!!
さて、2020年も半年が経過しましたが
この半年間の累計+3.1kgと
情けない結果に終わっている八郎。
明らかにダイエットの紐が緩んでるね、これは。。。
今回はちょっと重い話だけど
自分の戒めのために書きます。
酒場で酔いちくれたおっさんの愚痴
と思ってもらって
読んでもらえると幸いです。
それでは始めます!!
Contents
太く短くなんて、自分勝手の境地
よく、
「そんなに太ると早死にするよ」
と家族から言われてました。
家族からしたら、当然の指摘。
まあもう少しオブラートに包んだ表現だったけど
直球にするとそういう言われ方を良くされてた。
しかし、それに対する八郎の返しは
「いいんだよっ!人生太くっ!短くっ!我慢する生活なんてとんでもない!!」
という、本当に酷い、自分本位な答えだった。
短く生きれるかなんて誰もわからない
この「短く」という表現。
語弊を恐れず言えば、ぽっくり死ぬこと。
要は、短い一生でも、我慢のない人生が良い
という独りよがりな発言、という事になります。。。
が!!!
そもそも、短く生きる(ぽっくり死ぬ)なんて
何でわかるんでしょうか?
昨今の医療技術の進歩で
昔だったら成す術なく死を待たなければならなかった状況も
現在はそうでもなくなってきました。
そう、延命できるかもしれないんです。
しかし、救われた命を粗末にするような言い方で大変恐縮ですが。
延命されたことがみんなにとって幸せな事かどうかは
…その延命した人の「状況」によるかもしれません。
例えば、脳溢血で、半身不随で介護が必要になった場合。
命を取り留めたことは良い事だと思いますが、
介護しないと生きていけない本人の苦悩や、
介護を続けていかなくてはいけない家族の苦悩を、
どう考えるべきでしょうか?
自分勝手な不摂生・自堕落が残された家族や周囲の人たちを不幸にする
勘違いしないでほしいのは
介護は周囲を不幸にする、と言っているわけではありません。
色々な事情で、介護をしなくてはならない状況は多々あると思います。
人間、ひとりでは生きていけません。
困っている人たちを支えあって生きていくのは
人間として、当然の事だと思います。
しかし、その介護状態が、
本人の不摂生や自堕落が主要因で起こったとしたらどう思いますか?
家族が、散々注意しても、
聞く耳持たず、暴飲暴食を繰り返した結果。
成人病が引き金となり、
残された家族が介護をしなくてはならなくなった場合。
度々の忠告を無視した挙句に、要介護となった父親を、
家族は疎ましく思うに違いありません。
デブは、寿命が縮まるだけでなく、
成人病をはじめとする多くの病気にかかるリスクが、
これまでの症例で実証されています。
自責で介護状態になった場合、
残された家族はどんな思いになるのでしょうか?
「100kg以上あるデブを介護する」ことを想像する
もし、自分が体重が100kg以上の状態で要介護状態になった場合。
トイレをするのに何人の介助が必要になるのでしょうか?
支えたり、抱えたりするのに、人の倍以上の力や苦労を強要します。
でも、自分で自分の命を絶とうにも絶てない介護状態になるかもしれません。
もうそれは、全員が不幸でしかありません。
デブであるがゆえに、周囲の人が不幸になっていく。。。
デブは「リスク」でしかありません。
周囲に迷惑をかけない「努力」が必要
これまでの人生は自分に甘いがため、
欲望に負け、結果人の体重の倍近くまでデブになりました。
これまでは若さで乗り切ってきましたが、
人生も80年を一生とすれば折り返し地点を過ぎ、
もう若さで押し切るのも徐々に無理がある年齢です。
このままでは、ぽっくり亡くなるならまだしも、
要介護状態のリスクが刻一刻と迫ってきます。
もし、仮に努力むなしく、
成人病などがきっかけで「要介護状態」になったとしても。
何も努力せずに100kg以上のままそうなるのと、
何らか努力して痩せた上でもそうなるのでは、
自分への言い訳は少しできるかもしれませんし、
周囲の見る眼も「少しは」変わるかもしれません。
今まで不摂生した分、これからは摂生しないと、
上記の様な迷惑この上ない状態になりかねないので、
今回のダイエットは絶対に成功させようと思います。
。。。御託はいいから早く痩せろよ、って。
はい、頑張ります(笑)
今回は以上です。
最後までお読みいただきありがとうございました!!
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